ドッグフード買い太郎
僕が大池という場所に対して持つイメージというのは、平和で緑で優しい感じの公園という見ての通りの情報に加え、毎日かかさず夜にやってきてはあれはクソだのこれはダサいだのとイキって意地を張って、でもなぜか体が火照っているような、薄暗い時間と空間が焼き付いている。買い太郎さんの歌を聴いていると、言葉の暗さと重みと鋭さからその景色・感覚をつつかれる感じがあって。だから僕がずっと持っている大池のイメージには恐ろしいほど買い太郎さんの歌がリンクする。僕の自分勝手だけど、僕が大池に持っているイメージが買い太郎さん越しに伝わったら嬉しいなと思う。
こすけ
“弾き語りとは?”
前回、大池音楽祭のZINEを作成するにあたって、10数人の方に一言頂いたテーマである。皆それぞれの視点や感覚が集まる中、一際暗い言葉が佇んでいた。「救いようのない」ドッグフード買い太郎さんに頂いた言葉だ。
音楽に破壊された人なんだろうと思う。深夜、枕元に徘徊する魂を集めたようなその音楽は、不気味な程に心地良く体の中に滑り込む。ポップである事と真正面から向かい合って曲を書き続けるその姿は、本当に美しい。美しいもの程イカれてるのは言わずもがな。その背中に、ずっと青春を感じていたい。広島横川から兵庫の奇祭へ。救いようのない音楽が鳴り響きます。
畑拓朗
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